携帯メールで親友S君からN先輩のことを知ったのは、夕食の食器洗いを終えて一息ついて、読書を少々してからだった。

 携帯の電源は普段切っているため、友からの情報を受け取るのが遅くなりがちであるが、S君からのメールは19:25頃だった。今日のあまりの唐突なメールに「えっ?」と初めは思うだけであった。返信をして、親にも話した。

 小生のピアス再利用の生活が予想以上に思うようにいかず、苦戦をしいられたと言う言い方は語弊があるかもしれないが、洗礼を浴びている時に、ふと原付バイクで現れたのは、N先輩だった。あまり個人情報に深入りするつもりはないが、3年半続いた清掃の仕事を辞職して、今後どうするか、相談に来たようだった。トレーニング終了後、K君と3人で、僕のフリーター生活時代のことなどを談笑した。そして帰り、バイクに乗って帰っていく姿を見て挨拶をした。

 それが、まさかN先輩との最後になるなんて思いもよらなかった。1つ年齢が上でまだ人生これからだというのに。兄貴と同じ歳なのに。不条理すぎる。S君からのメールには死因は書かれていなかった。僕はN先輩からニルバーナとジャンヌダルクのベストを借りたこともあった。しっかりMDに録音してある。

 彼は、とりわけジャンヌダルク等が好きで、「エデン?君がいない?」のシングルを僕が持っていると言うと、ベストを貸してくれたのだった。なごみ会のカラオケでは、キーが高くて小生には歌えない「エデン」やエアロスミスの「ミス・ア・シング」をいとも簡単に歌っていたことが、忘れられない。僕は、「エデン」のCDをリピートでかけ、部屋で泣き崩れた。同じ、精神障害を持つ同志を失ったのが感覚として込み上げてきたのだった。

 ちなみに彼はジギーのCDも初期の頃のを数枚を所有していて、ピアス新米だった頃、小生にジギーの小話をしてくれて、ピアスにうちとけていくことができた先輩の1人でもあった。テレビゲームの話もした。趣味が似通っていた。僕は「エデン?君がいない?」を聴きながら歌ってみた。涙はあふれてくるばかりだった。でも、フルコーラスを歌った。N先輩の追悼になると思ったところからくる衝動だった。

 とりあえずブログを書き、冷静になりたくて書いている。最近、ようやく日々の暮らしに調子が出てきた矢先の話だった。眠りが浅く早朝に起きたり、なかなか寝付けなかったりする最近でもあった。頭の中が混乱していて、ちゃんと眠れるだろうか。何かあったらまたメール下さいとS君には返信しておいた。