2010年11月

(財団法人)日本サッカー協会公認D級コーチ養成講習会に申込完了

今月の11月27日(土)の朝に、かけこみで(財)日本サッカー協会公認D級コーチ養成講習会、Bコースに申し込みを完了させた。来年の2月19日(土)、2月20日(日)は西が丘とアミノバイタルフィールドにそれぞれ行って、何がなんでも取得してくる予定である。尚、このライセンスの受付募集は今月末までであった。知らせてくれたのが、ソウルワールドカップに行った時に意気投合したS君。S君が教えてくれなかったから、今度はいつになるか分からなかったよ。ありがとう!!S君。いわゆるD級ライセンスを取得できたら、サカラクの取り組みもまた変わるはず。運営面で、大きな武器となる。D級ライセンスを取るために、日々の精進を怠らず、体調面もしっかり整えていきたい。2月は真冬で、ちょうど受験生のシーズンでもあるし。照準を受験生のごとく合わせて行きたい。あと体重を5キロは絞りたい。2011年の37歳になる前の36歳のうちに取得しておくべき、僕の最大のチャレンジであり目標かもしれない。

市の公園ボランティアに登録

森重樹一さんの新譜を入手した足で市役所へ行き、市の公園ボランティアの合意書を交わし、次の日から近所の公園で、さっそく清掃を始めた。前からこういうのを、僕はやりたかったのだ。大学のインカレで、月に1回、二子玉川園の河川敷を清掃していたノウハウが生きていた。いわば、小生はゴミ拾い職人といえば、職人なので、プロといっちゃプロなのである!
市とは、半永久的に契約を結んだので、引っ越さない限り、晴耕雨読で、ゴミ拾い職人のプライドにかけて、このボランティアを継続していく所存である。だけど、嬉しい。市でもようやくこういう僕が前々からやりたかったボランティアが出来て。この告知も母が広報で見て、探してくれたので、母に感謝する。先週は、市から腕章が届き、これで堂堂と、公園清掃ができる。次の日も腕章を付けて早速、近所の神社の裏の公園と分水の清掃をした。その際、私服のおそらく巫女さんであろう方々が、分水の詰まっている落ち葉取りを手伝ってくれ、非常に助かった。相手側からも「ありがとうございます。」とねぎらって下さった。ただ、この日は分水に不法投棄されたオムツを金バサミですくい上げた際、持っていた金バサミの手の右手親指が腱鞘炎になってしまった。オムツ拾いと引き換えに痛い代償を支払った。だが、このままじゃおわれっこない。ボランティアはまだ始まったばかりだ!!1人だと大変なのだが、集団行動が出来ない、超個人主義の僕にとってはグループで登録するより、気が楽でいい。時々、「頑張って下さい。」と声をかけられたりするのも励みになる。まあ、正直言うと、本当は仲間と皆で、楽しくやりたいのだが。

ブラインドサッカー関東リーグにボランティアとして参加

我々サカラクメンバー、小生を入れて、三人は市営競技場リニューアルオープン記念「ボイボイフェスタ」で模範試合を行ったブラインドサッカー(盲目の人のサッカー)の観戦&ボランティアとして、11月13日(土)に市営競技場に午前11時から終了の午後5:30まで行ってきた。ちなみに小生は早めに20分前頃に現地入りした。世界選手権で活躍した選手が目の前でプレーするということで、是非、生で見てみたかったのだ。実際に運営スタッフの計らいで、アイマスクをつけて、ブラインドサッカーを体験させていただいた。僕達は統合失調症というハンデを背負っているが、アイマスクをつけると視界がさえぎられ、真っ暗闇の世界になってしまって、どこにボールがあるのか分からない。統合失調症がちっぽけな病に感じたのは言うまでもない。盲目サッカーに身が引き締まる思いがした。指導者の話しを輪になって説明を聴いた後、まず、ペアを組んで、10メートルぐらい離れて、お互いの立っている位置を確認し合う。「ボイボイ」と叫ぶが、もうこの時点で、相手の立っているところまで歩いていくことが出来ない。盲目の人はこれでサッカーをしてしまうのだから(しかもこの日集ったチームには日の丸を背負った人ばかり)敬意を払うことしきり。ボールには鈴が入っていて耳でボールがどこにきたか、分かるようになっているのだが、なんとかパス、そしてドリブルはボールを離さない様に、右足と左足を交互に股の間に動かしてドリブルをするのだが、時々ボールがどこかへ逃げていってしまう。なんとかドリブルも出来て、トラップ&シュートも出来る様になるところまでステップアップしていく。FC、GONAっ子の子供達とも一緒にやっていたので、実際にゴール前でGONAの子供達も指導者に投げてもらい、トラップ&ドリブル&シュートを体験し、僕らは最後に体験をする。サカラクのメンバー二人は、共にシュート成功。T君(サカラクの発起人)などはシザースフェイントを入れてGONAっ子達の前で歓声を浴び、指導者から褒められていた。Y君も豪快なシュートをたたき込み、歓声を浴びた。そして、僕の番。トラップ、ドリブルまでは良かったが、「シュート!」という歓声が来たので、左足でキックすると、なんとゴールマウスに飛ばず、左サイドバックからオーバーラップして来た人に渡すパス、とにかくシュートのつもりがパスになってしまった・・・。2人ともいいなあ。GONAの子達に、いいシュートを見せる事ができて。軽い昼食を取り、薬を飲み、午後は試合観戦をしつつ、フィールドは全面の6分の一しか使用されていないため、ボール拾い(これが結構転がってくる)などをして過ごす。ボールは本部にすぐ返す。試合はゴール裏にコーラーという、「前、右45度、左90度」などと指示を送る人がいて、ゴールキーパーは健常者。タッチラインには協賛メーカーの看板が立てており、選手達は看板にガツンガツン当たって、真剣勝負する。フィールドプレイヤーはフットサルと同じくらいだろうか。「エフシーアヴァンツァーレ」というチームは試合開始前に肩を組んで、テレビ番組のドリフがやっていた「8時だよ全員集合」のオープニングをもじって「ア、バ、ババンバ、バンバンバン、アヴェンツァーレ!!」と円陣で歌っていてそれが、とても気に入ってしまった。このチームにはドリブラーがいた。ドリブラーは僕は好きなのだ。このチームのかけ声は家で今でも時々、つぶやき、サカラクの活動でもブラインドサッカーを時々取り入れていたりもする。開会式にも参加し、閉会式にも参加することができた。開会式では全員で記念撮影もした。もう、日が落ちて真っ暗闇になって、近くにいた選手達に労をねぎらう声をかけ、大会運営スタッフにも挨拶して、我々は解散した。まだ、20代の頃、小生は市のリーグに参加し、3点ぐらい決めた思い出の競技場なのだ。ただし準決勝でPK戦まで、もつれこみPKを外した事もある、苦い思い出の競技場。それ以来PKはジュビロの駒野さんじゃないけど、小生は蹴らないことにしている。観戦するベンチが以前はコンクリートだったのが、座席が設置され、そこには、芝生もあった。芝生では寝転んで、ストレッチも3人で、やった。次に競技場の中に入れるのは、いつになるか分からないので、芝生にキスをしておいた。このブラインドサッカーがあることは、市の広報で母親が見つけて教えてくれた。母にも感謝する。この日は、小学生などの学芸会などと市内各地で行事があっただろうと思うので、ボランティア&観戦に来たのは、FC、GONAの子達やその親御さん、ブラインドサッカーチーム関係者の方達ばかりで、一般市民としてボランティア&観戦しに来たのは、サカラクの僕達だけだった様に思う。また大会があったら駆けつける予定。ありがとう!!ブラインドサッカー!!

韓日戦の日パート2

2010年10月12日夜8:00キックオフ。ソウルワールドカップスタジアム。試合については、多く、色々な人、様々なメディアが語り、テレビも地上波で視聴率26%をたたき出し、1位(朝日新聞)と書かれてあり、日本でも注目されていたので、自分のことを書く。書きたいことは山ほどあるが、割愛する。(株)日本旅行と提携しているバスは国立中央博物館へ立ち寄り(ここで僕より1つ年下の子とも意気投合する)、免税店へ寄ったので、日本なら8,000円くらいするノースフェースのバックを「すぐ使いたいんだ。」と始めは英語で言い、日本円で10分の一ぐらいのウォンの紙幣で、支払い、スタジアム入りへ。ドーハの悲劇バージョンのレプリカを身にまとい、日本旅行で戴いた、バンダナを首に巻き(日本と韓国が国旗から握手している部分を見えるように)、兄の嫁さんから、戴いたJFAタオルとB&Dスポーツの青のタオルも身につけ、サポートモード体制へ。カテゴリー2が座席だったため、ウルトラスニッポンの呼びかけで、Aの自由席の方へと日本代表に声援を送る。さすがに、飛び跳ねることは出来ないため、B席との通路付近で応援。たぶん、韓国在住日本人のソウルっ子達とも、一緒になって子供達とも応援。か~が~わしん~じ、アレアレなどと。パクチソンが出ていない事に気づく。出ていたら負けていたかも。2階スタンドの四つ角辺りが空席になっているだけで、会場は、ほぼ満員。韓国サポーターは発炎筒を炊いていたのは、日本の地上波を見ていた人も知っていたと思うが、それだけではなかった。まだ、12月になっていないのに第九を歌う、韓国サポーター。そして、試合開始前であるが、でかでかと垂れ幕が出てきたのは2022年W杯招致と、左右に運慶の作った像みたいな垂れ幕がかかり、Nサイドの壁際には・・・。これは近くのハングルを学んでいる人だと思う。「う~、なんとかかんとかって書かれてある!これは日本に対する侮辱だぜ!」と叫んだ人がいた。ハングルは読めないので、書いてあることが分からなくて返って個人としては良かったが。ウルトラスのリーダー的存在である植田朝日さんは、音頭取りが上手く、アウェイでも冷静沈着で、日本代表のサポーターを上手くまとめ上げ、ビートたけしさんみたいだった。A席の前列にひょっこり出てきた。これが、アウェイの海外でのサポーターの応援なんだ!と初参戦の僕はまざまざと実感した。兄の嫁さんから戴いたタオルを試合中、ズボンのベルトに入れ込もうとしたら、左手人差し指の爪のささくれから血が出て、前の座席を汚したので、持っていたティッシュで、なんとかきれいにふき取った。ソウルワールドカップスタジアムの清掃職員の皆様、安心して下さい。きれいに血はふき取りましたから。松井大輔が闘牛士(マタドール)と呼ばれているように、いいフェイントをかけたり、本田圭祐がいいシュートを放ったり、とサッカー専用スタジアムなため、国立競技場よりも見応えが全然違った。やばいぞ日本。僕は終始、笑顔で、高らかにコールした。結果はスコアレスドロー。ザックジャパンはいいゲーム展開をしたと思う。それにしても、ソウルのスケールのでかさには度肝を抜かれた。帰りのシャトルバスで、ホテルに戻る時、僕を入れて4人がガイドさんとはぐれてしまった。その時、唯一国際線に携帯をつないでいたのが、ACLで何回も韓国に足を運んでいたアントラーズサポーターの貴方だった。それで、ガイドさんと連絡を取り、無事、ホテルに帰る事ができた。アントラーズサポーターの貴方、ありがとう!!サポーター夕食会には参加していないため、バスでホテルに帰る途中、「一緒に夕食しませんか?」と尋ねたら、快く快諾してくれた父と同じ年齢ぐらいの南アフリカ大会のオランダ戦まで、観戦に行った方とホテル近くの焼肉屋(24時間営業)で、割り勘で冷麺を食べ、氏から少量だけ、戴いたお酒で、乾杯をし、日本代表や日本サッカーを熱く語り合った。ホテルに戻り、パッキングし、(ちなみにバックパッカーで来た人は俺1人)朝、6:00ホテル発なので、睡眠を2時間半取り、5:30にはチェックアウトを済ませた。やはり、統合失調症での海外はこれが、最初で最後だろうな。と思うと胸が熱くなってきたので、免税店で韓国海苔を買い、金浦空港で、羽田に向かうために空港に入る前、投げキッスをしておいた。思い残すことは何もないと思った。ただ、2泊3日なのに、合計睡眠時間は2時間半。駅には、ザックジャパンのスポーツ新聞1面がほとんどだった。だが、僕は、10月15日(金)のエルゴラッソを買った。自宅に着いて、母に恒例の海外に行ってきた証しの写真を撮ってもらい、俺は日本に帰ってきたんだ。としみじみ思った。もう、国外に旅行することはないだろう。ソウルの街はハングル文字ばかりで、日本語を見るとホッとした。結局、ハングル語で通じたのは、ホテル近くのファミリーマートで「インスジュン、チュセヨ」(レシート下さい)だけだった。あ~なんで、でもこんなに楽しかったのだろう。それは初対面の人と大好きなことで、話は尽きなく、盛り上がったからだろう。日本代表オフィシャル観戦ツアー韓国代表対日本代表の観戦がずーっとしたかったので、ソウルで実現できて良かった。ありがとう。ソウルよ。あとは、TOYOTACUPの決勝さえ見れれば・・・。そんなに欲を出してもしょうがないだろう。海外で、サッカー観戦をしたのは、初めて。おそらく最初で最後。僕を今まで支えてくれた両親にも感謝します。これで、ひとまず、韓日戦の日パート2を終え、キーボードをたたくのを終了させます。アニョハセヨー。カムサハムニダ。僕の目標は達成された。人生とは不思議なものだ。

4-2-3-1 サッカーを戦術から理解する

「4-2-3-1 サッカーを戦術から理解する」杉山茂樹著 光文社新書 860円+税。2008年3月20日初版1刷発行。小生は新聞広告を見たとき、地元の書店では棚に並んでいなく、新宿か立川の書店で、2008年7月15日の8刷発行を入手したのであった。304ページ。今年に入手して本日、読了した。小生の時代はまだシステムが4分割ではなく、4-4-2や4-3-3で慣れていたので、4分割のシステムに始めは頭がついて行かず、読むペースも、始めは遅かった。だが、読み進めていくうちに頭が4分割に慣れて行き、読書量もはかどった。巻末の本書に登場する主な監督のプロフィールも書かれてあって、ああ、この監督はこういうサッカーをするんだ。と納得して読み終えた。図解も始めは理解するのに戸惑ったが、丁寧な図解が、だんだん頭を4分割にしてくれ、理解できた。今年の目標は語学とサッカーの研究がテーマだった。語学のハングル語やブラジルポルトガル語は結局、挨拶程度しか話すことが出来なかったが、年内中に「4-2-3-1」を読了できて良かった。だが、この新書を読了したからといって、サッカーを理解したとは言えない。年が経つに連れて、どんどんサッカーのスタイルも進化する。新聞のJリーグ記事もそのうち4分割のシステムで書かれてくる時代が来るように思う。特筆すべきは、リナス・ミホルス(故人)という僕の好きなヨハン・クライフにトータルフットボールを提唱したと思われる、FIFAが1999年に、「20世紀最優秀監督」に選出し、いまだに、トータルフットボールを超えるサッカーは現れていない。という監督と事実を知ったことであった。 

ラブ ア ソウル

森重樹一先生のニューアルバム「LOVE A SOUL」を発売日の11月17日(水)に入手した。紙ジャケットで、10曲収録。中でも6曲目の「DEEP SEA BLUE」は深い海を泳いでいるようなサウンドで、1リピートで聴いていてもしばらく飽きない。森重樹一氏ソロ作品の名作がまた1つ誕生した。資金さえあれば、氏のファンクラブにすぐにでも入会したくなってしまったのだった。

適当手帳2011

先週の木曜日、高田純次監修の適当手帳2011を買った。地元の本屋に1冊だけあった。午前中はTSUTAYAをあたってみたが、置いてなかった。でも午後入手できた。もう、帯というか手帳のカヴァーから見て、それだけで、爆笑する!!中身も男性向けで、女性はちょっと引いちゃうかもしれないが、それでも、1日の枠のコメントを1つ読んだだけで大爆笑する!!例を1つ挙げるとすれば、普通の手帳なら元旦に「1年の計は元旦にあり」と書かれてあるが、適当手帳の場合、なんと2日目にわざとずらして、書かれてある!!もうそれだけで大爆笑!!来年はこの手帳で、脱力しながら乗り切っていこうと思ったのだが、逆にこれは、1冊のれっきとした本のような気がしてきた!!電車の中で開けるのは1人ならまず、開けられない。こち亀の漫画を電車で読むようなものだ。中身を開けるとまず笑うところから、始まるので、果たしてこの手帳使いこなせるかどうか・・・。僕は新聞記事の広告で知って買ったのですが、ゲラゲラ笑って来年を過ごしたい人にはお薦めです。

「のはなし」

「のはなし にぶんのいち~イヌの巻~、キジの巻~」伊集院光著、宝島文庫、それぞれ476円+税、2010年4月20日 第一刷発行。190ページと189ページ。2007年10月に刊行した単行本を文庫化したのにあたり、氏撮影の‘‘謎の写真コレクション’’を特別に大公開。カバーの裏の紹介にはどこから読んでも楽しめます。と書いてあったが、僕は、順繰り読んでいった。そして、今日読了した。昨日は氏の誕生日。今日は「深夜の馬鹿力」の日。TBSラジオ。この本は深夜の馬鹿力で、伊集院さんがしゃべっていることを、より簡素化し、伊集院さんの博学ぶりを発揮している本だ。ラジオのリスナーは、うん、うんと頷ける話しばかりで、ライト(気軽)に笑えるエッセイ集!!しかもあいうえおの「あ」のことばから始まる編から「ん」まで、落語家出身の伊集院さんらしく、どれもオチが付いている。お見事。大槻ケンヂさんの本の、のめり込み度ほどの文体ではないが、氏の素直な心があらわれている2冊だった。新聞で載っていた告知記事を見て、すぐ入手できて良かった。帯には太田光さん、糸井重里さんも大絶賛しているコメントがある。伊集院さんの博学ぶりには、リスナーとしていつも、ラジオで笑かしてもらっていたから、一週間の始まりの活力源だった。伊集院さん、ありがとう!!

世界ドキュメント選を見て

昨晩、11:20~0:10までNHK衛星第一1で「世界ドキュメント選 アフリカのさまよう少年たち サッカードリームの光と影」を興味深く見た。尚、この放送は、2010年、6月13日(日)にやった物の再放送。アメリカンドリームで、メジャー入りを目指して賞金=給料の一攫千金を目指してかつてUSAがやっていたように、アフリカでは、第二のドログバやエトーを目指して、若者が、星の数ほどあるサッカーチームで、日々練習に明け暮れ、エージェントに騙され、ヨーローッパに渡り、ヨーロッパでプロ契約が結べずに、途方にくれてがんじがらめになってしまうという話だ。特に
カメルーンはサミュエル・エトーという偉大なお手本がいるから、貧困から抜け出すために、また、プロサッカー選手という夢を叶えるために、家族を少しでも裕福にするために、ヨーロッパに渡りたがっている。そんな弱みに付け込んで、ヨーロッパの代理人がスカウトだけして、渡航費を巻き上げ、目をくらまし、アフリカンドリームを台無しにし、家族が赤貧に陥って成す術もなくなって明日の暮らしはどうなるか分からない、超深刻な問題に陥ってしまうのだった。1人で渡った若者しかり。そこで立ち上がったのが、パリで活躍していた、一人の引退した元プロサッカー選手のアフリカ人だった。NGOを立ち上げ、1人でも多くの騙されて、ヨーロッパに取り残された少年を手厚く保護し、今後の人生の活路を模索してあげる。また、アフリカにいる家族にも連絡を取りに赴いて、事情を話す。インチキ欧州代理人にも会って注意を促し、言うなればレッドカードを出す。しかし、インチキ代理人は理解を示さなかった。フランスでは、そのアフリカの言うなれば、難民の若者の救済にフランスサッカー協会が乗り出したが、
「解決できないで、どうしようもないんです。」と幹部は話していた。FIFAも憲法を作り、満19歳になっていない若者は、渡航して入団テストを受けさせない、法律を作った。しかし、とにかくアフリカは貧しい。僕もエジプトを旅して、アフリカの大地を踏んだ男だから良く分かる。FIFAが手を打っても、それでも貧困から脱出するために、多くの若者が欧州に行ってしまう。アフリカンサッカーは確かにグレートだ。アフリカの少年達は毎日、技を磨き、日本人にはマネできない身体能力がある。アフリカの国土全体が丸いサッカーボールだと考えても良い。今年はワールドカップは南アフリカ大会だったし。サッカーはボール1個あれば、裸足でも、貧しくても、遊べる。ゲームも人数さえ集まれば、すぐにできる。番組はNHKが約半年かけて、取材にあたった良質な番組であると同時に、是非衛星じゃなく地上波のNHKスペシャルか何かで放送してもらいたい番組であった。日本は恵まれすぎている。一人のサッカーファンとしてこの問題を心の片隅に置いておく必要性があることを学んだ。と同時に、アフリカ人の過度の楽観主義による警告でもあるような、複雑さが入り混じった問題であった。番組の最後には正座して見た。アフリカには日本みたいに義務教育で学べる学校が、本当に乏しく、知識や知恵が身につかないまま大人になって犯罪に走ったりしてしまう人間が大勢いる。しかし、昨今のニュースに目を回すと日本人はあの手この手を使って高齢化社会の世相につけこみ、ご老人から、悪知恵を身に付けた輩が、詐欺で、お金を巻き上げる。いつ、どの時代、どこの国だって、犯罪は、無くならない。せめて、サッカーという共通言語で、世界が平和でいたらいいと思うことを願って止まない。頼むぞFIFA!!
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