2014年05月

15年振りにサッカー場にてのピッチに

とある市のリーグ(シニア)15年前の様に東京都リーグの仕事じゃないヴァージョンの本格的なサッカー場(狭いし行き方が不便だけど)でラスト5分だけピッチに立たせて貰った。(左サイドバック)ポジショニングなど頭で理解していても体がついていかなかった。いかに走ることかの重要性を知った。ただのランニングって嫌いだけど・・・。ボールでドリブルしないとつまらないから・・・。もうそんな環境あまり残っていないんだよね。我が街にも。
それはさておき本当に貴重な体験をした。出場させて下さり有難う御座いました。昨日の話。ペーパードライバーになると不便なことが多いなあ。親友が助けて帰り途中まで車に乗せてくれて助かったから結果オーライでした。親友M君ありがとう!!!

防災○○市の放送

わが市では午後1時になると小学生、中学生の下校の時刻です。までは良い。その後「不審な方を見つけた人は必ず百十番通報して下さい。こちらは防災○○です。」となる。ベースがある小さな街のせいか爆音でストレスが溜まるせいか治安はよろしいとは言えないが、毎日耳にしているとうんざりしてくる。またかよと。せめて「児童は安全に帰りましょう」でいいんじゃない?と思うなんか息苦しい世になったなと思う1時過ぎ。

一丁目フットサルバカ連盟の終焉

子供達の恰好のサッカー場(サロン場)となっていた、近所の公園に今年の春頃、「広域でのサッカーの練習、ボール蹴りを禁じます」との張り紙が貼っていたことが判明。というか、貼られてしまった。段々規則が厳しくなっていく世の中。そういう時代なのかな。僕が小学生の頃は放課後、公園で、缶蹴り、野球、サッカー何でもやった。良く学び良く遊べ。特に子供の遊び場が消えていくようになっていく気がしてならない。空地も無くなって住居だけ。段々景観も変わっていく。新興住宅街の萎える空。文の結びは敬愛するロックバンドのボーカリストの詞を引用。

昨日、佐川印刷京都戦

まずは祝い。センターバックの鉄人小山大樹選手がJFL最多出場の334試合出場達成。だが、試合は何がしかの理由で吉田監督はお休みで、池上ヘッドコーチが指揮を執り、選手起用は都丸選手が先発したり、東京大学出身の長尾林太郎選手、二種登録選手の若手の佐藤稜大選手を交代枠でカードを切ったりと采配が新鮮でそれはそれで面白かった試合だったが、ムサリクは今日(昨日)も負けだった~。(長崎は今日も雨だったという感じで。でも相手は印刷京都)でした。本来ならまだまだ書き足りないのですが、高校時代、京都大学に憧れて、オープン模試で最下位を取り、一浪して都内の偏差値平均の私大の自宅通い(八王子なのに多摩モノレールが出来てなかったから片道約二時間かかった)に修まった経歴を披歴しましておしまいとさせて戴きます。次こそ勝てるぞむ、さ、し、の!

死闘東京23FC戦

天皇杯の道へ続く東京都社会人トーナメントが日付は変わって昨日、西が丘で行われた。無料試合なので、ちょうど町田ゼルビア対東京海上日動の試合のキックオフに間に合い第1試合から見ることができた。応援に力が入るとサッカーそのものが見られなくなるというか、気楽にじっくり観戦出来ないので、ゼルビアと東京海上日動は力まずサッカー観戦そのものを楽しんだ。ちょうど目の前の付近のバイタルエリアからゼルビアの14番木島徹也選手が鮮やかなバイシクルシュート、オーバーヘッドシュートを魅せ、ゴールはしなかったもののあんなに素晴らしいシュートは多分生まれて初めて見た。オーバーヘッドのことね!さて武蔵野の東京23FCとの一番勝負。 まさかのPK戦へと突入した。前半、後半、一進一退の攻防が続き、武蔵野は東京23FCから90分でゴールを奪うことは出来なかった。ところで武蔵野サポーターの応援のアイディア満載といったらない。風変わりと言う言い方もできるが、面白い人ばかり集まっているから応援のチャントも基本はあるもののその時々で変わっていく。90年イタリアW杯のユーゴスラビア並みの緊張感のPK戦の応援すら笑いに変え「流れはまだまだむ~さ~し~の」とか「ドキドキするけどむ~さ~しの」なんておちゃらけてしっかり7-6のスコアで勝ってしまった。近くで座っていた出場しなかった選手に「僕も始めは面食らいましてね。」と話すと入団して1年目の小城選手と李選手が(多分李選手で合っていると思う)「いや、ありがたいです。」とおっしゃってくれ、「武蔵野サポーターは面白い人ばかりなんですよ。」と言っておいた。そんなこんなで死闘PK戦を制した横河武蔵野の快進撃は続く!?のである。!?じゃなく!!かな。 

オシム73歳の闘い

昨日、日本代表のブラジル大会の選手発表があったが、多くのメディアで語られているし言及は留めます。大型連休の最終日の5月6日はイビツァ・オシムさんの誕生日でBS1スペシャルで放送した「オシム73歳の闘い」の、録画しておいた番組を昨晩見ました。ボスニアサッカー協会では紛争のあとからムスリム系、クロアチア系、セルビア系の3つの民族から3人サッカー協会の会長が3年前までおり、FIFAから会長を1人1本化してくれてとオシム氏に要請があり、脳こうそくの後遺症が残る中、ボスニアサッカー協会名誉顧問のオシム氏が3人の協会長に、じかに会いに行き交渉しました。FIFAの提示した期限5日前の会議で全員一致の可決で会長を1人にさせ、ワールドカップ予選出場に間に合いました。オシムさんはボスニアにこんな笑い話がある。1つの観光地の橋を男が見に行った。やがて橋は観光客でいっぱいになり、1人の少女が橋から落ちたのでダイブして助けた。あなたは英雄ですね。英雄として今後何をしたいですかという問いに落とした犯人を見つけに行く。という話をした。取材した「オシムの言葉」などの著書があるジャーナリストの木村元彦(ゆきひこ)さんはオシムが謙遜しているのに少し時間がかかったと述べていたが、いかにもオシムさんだという面白いはなしだった。ボスニア・ヘルツェゴビナはブラジル大会出場を決めたが、国内リーグは民族の違いによる安心した観戦や試合が成り立っていないようだ。そういう映像も流れた。オシムさんはサッカーには国を活気づけるものがある。と強い信念を抱いていた。そう願いたい。

早いものでホームゲーム5試合を消化

ムサリクで勝てん。この記事は1回書いたのだが、投稿できずに消えてしまい短文にて失礼。1回試しにアップを試みてみる。
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