スキッツォイド・マン

ステップバイステップ

一歩一歩。4年前の手帳の今日には「PM2:46 東北関東大震災から東日本大震災と名称変わる」とだけは記しておいてあった。あの時僕は、寒さとけだるさにまかせて布団の中で寝ていました。両親が二人とも家にいて揺れで倒れそうな父の書斎の本棚を三人で抑えてあとは何もなかったという。学生時代のアドレス帳に唯一の女の子の友達の住所がシャープペンで書かれており、福島の双葉郡とだけは記憶していたのだけど、昨年のワールドカップ期間中辺りの時に確認したら浪江町とまで書かれてあった。「えええっ、浪江の人だったの!?」今はスマホで住所でポンだのフェースブックだのあるから消息調べてみたけど、やっぱりまだ生きているのかどうかとかは知ることは出来なかった。あとはどこか他県の人やなんかの人に嫁いでいて幸せに暮らしているのを祈るのみです。明日は月に1度の外来。俺も病気にかかった当時に比べれば復興している。そう、ステップバイステップで歩もう。赤十字の活動資金に充てる砂利銭貯金だいぶ貯まったのでいつでも募金スタンバイOKです。

スマートフォンで連絡の取り過ぎにより

LINEを使用している人が、俺の周辺では少なく携帯電話ばかり。そのくせこちらからばかりかけるから今月の頭でもう9000円を突破した。このままで行くと先月の15000円を突破した値段よりも上回り損失補填もいいところである。もう俺の財政破綻である。そのくせ、料金プランの変更の手続きを踏もうとするとパスワードの世界が待っている。理系教科が一切苦手だった俺にはパスワードの保管は無理な話。となると、泣き寝入りかよ・・・。世の中辛いなあ。俺は話せる友人やら兄貴が散りじりになっているため、話していないと、常に連絡を密に取っていないと駄目なんだよね。くそう、この借りはいつか必ず返してやる。

母親の肺は綺麗になっていると言われて

昨日での某総合市立病院にて精密検査と診察を受け、肺は綺麗になっていると言われどうやら母の病気は快方に向かうことを確認した。だが、夜中睡眠最中に咳き込むし、日中咳き込むのが一緒に暮らしている僕には酷で可哀そうである。どうにかこうにか神様、仏様、母にもう一度元気になる姿を見せて下さい!!

母親は入院せずに大丈夫!!

某総合病院で母親は入院かと危ぶまれたが、食事が摂れるということで入院は免れた。わたくし事で大変恐縮です。どうか、神様、仏様、母の病気が治りますように!!

総合病院が母親の命を救ってくれそうだ

わたくしごとで大変恐縮だが、母親は某総合病院で暫くの期間療養をすることになりそうだ。ひとまず安心したが、あのイビチャ・オシムの様に母親も何とか復活して欲しい。というか復活する。祈ることと、お見舞いに行くことぐらいにしか僕には出来ないが。病院が何とか母を救ってくれるだろう!母さん、今更になって言うが今までいつも心配かけて御免なさい。

イビチャ・オシムの様に続き

昨晩、キータッチが動かなかったので・・・。続き、悪性のウィルスにかかり、入院するかもしれない瀬戸際の状態。イビチャの様にまた不死鳥のごとく僕をここまで育ててきた母に命をもう1回注入して欲しいのである。

イビチャ・オシムの様に

イビチャ・オシムは脳梗塞から奇跡的に治り、祖国ボスニアヘルツェゴビナのサポーターグッズ売り場の店員が「彼は生きる伝説だ!あと100年生きて200歳まで生きるよ!」と言ったのをテレビ見た。このブログのオシム73歳の闘い参照。小生のことで恐縮だが、母が悪性のウィルスにかかり、

精神安定剤を飲む様になってからの苦悩

14年経ってから医師にはほぼ治ってきているとまでは言われた。が、しかし両親と3人で暮らしている以上人間関係でちょっと些細なことが引きがねになり特に同じ性を持つ父親とは衝突を避けよう避けようと思っても暴言を吐きまくって父親を結果的に傷付けてしまう結果となり、自分でもあの平常心を保って誰とでも優しく接していてあげられたあの頃の俺はどこへ行ってしまったんだ?と自問自答する。結果昨晩はもうこれ以上父さんを傷付けないから!と謝罪して事なきを得たのだが、もう僕の存在自体を一旦否定することから始め、常に父親と母親と大事な両親から生んで貰った自分、兄貴は1つ上で独立しているが、その辺をもう1度再確認して両親に常に感謝しながら生きていくべきである。というかそう生きていかなければならない。

精神障害者から健常者に昇格か!?

足かけ14年統合失調症としてもうすぐ来月で40の不惑の歳に突入するのだが、とにかく2000年のミレニアムの歳に発病したのだが、年金機構から障害者基礎年金を受給出来なくなりますというような書類が届き来月7月一杯までにその書類を市役所に提出しなければならないことになった。医師とも相談しなければならないし、職は・・・。あてが今のところ無いのだが、今後の自分の行く末に期待したい!!!

最近公共乗物機関のマナー悪くないですか

優先席でも平気で、スマートフォンや携帯電話をいじっている人が多すぎです。僕が仮に心臓ペースメーカーでも付けていたら死に至るところです。昨日も駅長にいったいどうなっているんですか。マナーが全然守られていないじゃ無いですか。とかけあったところ(事実、心臓の鼓動がおかしくなってきたので)啓蒙活動はさせて戴きますが、取り締まる権限は無いので。の1点張りであった。啓蒙活動だけでは、手遅れです。政府がもっと対応にあたるべきです。まだ、なんとか若い僕ならまだしもこれが、御老人の心臓ペースメーカーを付けた方だったらと思うとぞっとします。気分を害すので、もう優先席には乗りません。しかし、いったい何のための優先席なのですか?日本国民のマナーが悪くなっているのが、弓道弐段小笠原流の小生からしても許せません。携帯電話の依存症で、このままでは、日本国民は駄目になってしまうと感じる今日この頃です。

自給者証と手帳を同時申請手続き完了

今年から6月末にセットで市役所で自給者証と手帳を一括で申請を受理させて戴く手続きを本日完了させた。尚、友人T氏のお世話になり、助かりました。

ボランティアのボランティアのボランティア!?

午後のこと。田園児童館に行って来た。PSPのモンハンを懲りずにああでもない、こうでもないと午前中は必死にになってミッションクリアの方法を攻略本やスマホやパソコンで、ベースキャンプから、村に入る方法を探っていたが、分からずじまいだったので、少年の誰かにクリアして実践をして貰えるだろうと、賭けに出たら、1人の少年がものの5分で、片付けてしまい、あっけに取られると同時に何回もお礼を言った。少年は、至極当然です。と何食わぬ顔をして言った。返って家に持ち物確認したら、PSPのカバーを置いて来てしまったことに気が付いて、速攻受け取りにリターンしたところ、預かっていてくれてめでたしめでたしとなった。ボランティアのボランティアのボランティアだった。

知識のカタマリナレッジで回答

先程、たまたま、精神科に行って治る???という質問があったので、文字を削ってオーバーしないように、回答しておいた。僕の経験が少しでも質問者の手助けになれば、良いと思う。人生1回しかないのだから、エンジョイしなきゃね。この手の質問はもう、医師に11年もかかっているから、アドバイスは出来る。回答、レベルは自信ありにしておいたけどね。

不安を取り除きたいのに一睡も出来なかった

今日は、睡眠導入剤が効かず、またあれこれ嫌なことを頭で考えてしまい、一睡も出来なかった。冬場の正月明けのいつもの悪い癖が出てしまった。しょうがないので、ラジオをつけてハシゴしてしまった。深夜の駄目マン。毎日、ぐっすり眠りたい。ウルトラマンになりたいのに頭の中がワルトラマン。これから、仮眠しよう。夜は怖い。夜は苦手。太陽が好きだ。闇は怖い。電力消費するし。夜はぐっすり眠りたい。高校サッカー準決勝を確実にテレビで2試合見たいのに明日は高校時代の同窓会欠席届提出しているにもかかわらず、皆のことが気になって、無意識のうちにコンフュージョン(混乱)してしまったらしい。高校サッカーはやっていない。僕は。効き足の左足太ももを筋断裂して、弓道部にのめりこんだ。ちなみに僕の持っている病気は、20代過ぎから発病するそうである。あの若かりし頃は、そんな病気はほとんど発病はしない。副交感神経と交換神経のバランスが、脳の中で保てず、人間関係に特に怒られるとたちまち駄目になってしまいリラックスできなくなる病だ。だけど、僕は生き抜く。どんなことがあっても。決して命を粗末になんかしない。生真面目過ぎるほど、生真面目かもしれない。初詣は痩せますようにとしか祈らなかった。体重の増加が、発端とされる。誰のせいでもない。今回は。自分のせいだ。正月って美味い物ばかり食うからな。お餅とか。そのくせ、冷え込んでいるから、矛盾が生じる。

昨日のこと

日付は変わって昨日、まず、デジカメのプリント用紙を調達。市役所へ手帳を更新手続き。印鑑忘れ。でもどうにかなった。活動支援センターが普段木曜が休日なのに、開所しており、雨の中、振り絞って歩き、なんと、数年ぶり?学校の休み時間みたいに、年配の女性や男性と、オープンスペースで、談笑する事が出来、超ラッキーだった。今日は晴れで、気温が18度から24度くらいに上昇すると天気予報は言っていた。明日も、やるべきことをこなそう!!

フェイジョアーダ

 確定申告が無事済んだので、

お昼はフェイジョアーダ(600円)セットを南米食堂で食べた。

小盛りを頼んでも、たいらげるのがやっとだった。

おかみさんも、ご主人も、健在!お兄さんも元気でやっているとのことだ。

愛情が伝わってくる、食堂である。

障害者自立支援法ようやく廃止か!?

 政権交代になって、厚労相は、障害者自立支援法をようやく「廃止をしていく」と明言した。

 思えば、体験した者にとって、あの法律は、本当に悪法だった。授産施設で、1ヶ月、たった2回ぐらい面接やっただけで、数千円も取られちゃうんだもんなあ。茶番どころのさわぎではなかった。

 精神障害者も知的障害者の方も身体障害者の方も、全ての障害者にとって、次の法がちゃんと生活していくうえで、納得のいく法になるか、チェックしていくことが大事だと思う。

僕の場合

自分のためにこれは書く。

今から約五ヶ月前にずっと発病時から通っていた調布の精神科クリニックを
ただ近い所がいいという理由だけで、立川のクリニックに変えてしまった。

 調布の先生がまずは、「3,4日通うところから始めてみてください。」
とおっしゃたので、通っていた。初めの頃はまだ、良かった。

 だが、生活一覧表というものを、書いて提出しなければならず、ちょっとでも、
生活リズムが乱れていると「ここはどうしたの?」と言われ、精神的に追い詰められていった。それによって、昼間、仮眠ができないように、マインドコントロールされてしまった。脳味噌はどんどん硬直していった。ある日、外来から外に出ると、足が全然前に進まない現象が、起きてしまった。X-FILE並みの事件にでも遭遇したかのようであった。

 またクリニックを変えるということは、一から自分の症状を話さなければならず、それはとてもとてもリスクを伴うものであった。また、薬の処方も先生によって変わっていく。通い慣れていた環境も変わる。
だから、僕の場合、クリニックを変えてはいけなかったのだ。
昨日から、また、ずっと通っていた調布のクリニックに通い始める事にした。
だが、5ヶ月間といえどもその、ブランクはあまりにも大きかった。
1回だけ慶應義塾大学病院にセカンドオピニオンというかたちで診てもらいもした。

 今、これを書いている現在も脳が硬直してふらふらになっている。上手く言い表せないが。強烈な睡眠さえ摂れれば治るはずである。
早くこの悪循環から抜け出したい。

 久し振りのブログだ。「ボールがディエゴ、ディエゴ、ディエゴと呼んでいた。」と言った、ディエゴ・マラドーナじゃないけれど、ブログが僕を呼んでいた。

元ピアスメンバーN先輩

 携帯メールで親友S君からN先輩のことを知ったのは、夕食の食器洗いを終えて一息ついて、読書を少々してからだった。

 携帯の電源は普段切っているため、友からの情報を受け取るのが遅くなりがちであるが、S君からのメールは19:25頃だった。今日のあまりの唐突なメールに「えっ?」と初めは思うだけであった。返信をして、親にも話した。

 小生のピアス再利用の生活が予想以上に思うようにいかず、苦戦をしいられたと言う言い方は語弊があるかもしれないが、洗礼を浴びている時に、ふと原付バイクで現れたのは、N先輩だった。あまり個人情報に深入りするつもりはないが、3年半続いた清掃の仕事を辞職して、今後どうするか、相談に来たようだった。トレーニング終了後、K君と3人で、僕のフリーター生活時代のことなどを談笑した。そして帰り、バイクに乗って帰っていく姿を見て挨拶をした。

 それが、まさかN先輩との最後になるなんて思いもよらなかった。1つ年齢が上でまだ人生これからだというのに。兄貴と同じ歳なのに。不条理すぎる。S君からのメールには死因は書かれていなかった。僕はN先輩からニルバーナとジャンヌダルクのベストを借りたこともあった。しっかりMDに録音してある。

 彼は、とりわけジャンヌダルク等が好きで、「エデン?君がいない?」のシングルを僕が持っていると言うと、ベストを貸してくれたのだった。なごみ会のカラオケでは、キーが高くて小生には歌えない「エデン」やエアロスミスの「ミス・ア・シング」をいとも簡単に歌っていたことが、忘れられない。僕は、「エデン」のCDをリピートでかけ、部屋で泣き崩れた。同じ、精神障害を持つ同志を失ったのが感覚として込み上げてきたのだった。

 ちなみに彼はジギーのCDも初期の頃のを数枚を所有していて、ピアス新米だった頃、小生にジギーの小話をしてくれて、ピアスにうちとけていくことができた先輩の1人でもあった。テレビゲームの話もした。趣味が似通っていた。僕は「エデン?君がいない?」を聴きながら歌ってみた。涙はあふれてくるばかりだった。でも、フルコーラスを歌った。N先輩の追悼になると思ったところからくる衝動だった。

 とりあえずブログを書き、冷静になりたくて書いている。最近、ようやく日々の暮らしに調子が出てきた矢先の話だった。眠りが浅く早朝に起きたり、なかなか寝付けなかったりする最近でもあった。頭の中が混乱していて、ちゃんと眠れるだろうか。何かあったらまたメール下さいとS君には返信しておいた。

障害者自立搾取法

障害者自立支援法のおかげで、僕のお小遣いは空っぽに近い。ああ?しけたゲーム。空っぽだぜ!コインだけさ。俺のポケットの中は。

棕櫚亭フットサル同好会

一昨日の12月7日金曜日。

まずは午前中、ピアスの就労プログラムで、北八王子にあるダスキン工場見学→帰って、ピアスで昼食と見学の振り返り→ヘルニアの手前である腰椎椎間板症を患っている小生は、一旦、中神の行きつけの整形外科へ→立川HMVでCDを物色→

そしていざスポセン(東京都多摩障害者スポーツセンター)へ→5:30頃到着しベンチでストップウォッチの使い方の確認をしているとピアス職員であるK氏登場。今回の企画はK氏の人脈なくしては開催されなかった。心から敬意を表したい。実はもうこの企画は半年前から設定されていてコートの予約を6:00?8:00でしていて、小生も参加のオファーを受けていた。それまでに腰痛を治すつもりだったが、未だ治る気配を見せず、タイムキーパーと得点係をかってでたのであった→

中へ入ると重病で倒れ入院中のオシム代表監督に代わっての岡田氏の日本代表監督就任記者会見の模様がテレビのニュースで流れていた→

6:00過ぎ、用意、ストレッチを開始し、軽くボールタッチを始めた今日のメンバー4人、1人は遅れて参加。1人は見学→

K氏の足技とプレースタイルは、小生が所属していた神代フットボールクラブのミツル君の動きに似ており、彼よりも上回っていたかもしれない。フォームがきれいだ。ちなみにミツル君とは誰かというと僕と同期で、やがて横河武蔵野FCのジュニアのコーチになり、ジーコの兄が経営する相模原のサッカー専門学校に行った、サッカーを愛している人間であった→サッカーは僕よりとてつもなく上手くなっていってしまった→

フットサルの試合は、2対2ではきつかった→でも皆、真剣に動いた→5分プレーの後10分休憩を入れ、2?2じゃきついので3分半でやることにした→間に30分ぐらい休憩を入れただろうか。でも皆、無邪気にボールと戯れ、様々な練習をする→小生は歩きながらの球拾いや、シュートのパス出しやPK合戦の主審などは出来て、やれる範囲で楽しむ→手前味噌になるが、タイムキーパーがいると時間がだれないで、有効に使えて、皆も快適にプレーできたのではないだろうか?→

小生のピアスの担当職員であるM氏も様子を見に来てくれた→

それにしてもタイムキーパーと得点係がこんな楽しいものだとは思わなかった。100円ショップで以前買っておいたストップウォッチがこんな場面で役立つとは思いもよらなかった→

タイムキーパーと得点係にやりがいと生きがいを感じた→チームのメンバを組み合わせで変えて5試合ほどこなしただろうか。至福の時間は8:00近くになり、名残惜しかったが、翌日外来が早いので、皆とラーメンを食べずにお先した→

「また誘ってください。楽しかったです。皆さん、体のケアに気をつて。」と言葉を残し、スポセンを後にした→

帰宅して夕食を取りながら、テレビを日テレに合わせると、今日から始まったクラブワールドカップの中継がやっていた→サッカーはやるのも見るのも語るのもたまらないねえ?。→

今はプレーはできなくても、やまない嵐などないようにいつか僕の腰痛も治るだろう。そう信じている→そして、腰の場合、絶対今度からは1週間様子見などせずに、すぐ病院に行こう。そう思った→

スポーツは楽しいけど、大なり小なりの怪我は付き物だからね→

忘れられない1日であった→終了

「森田療法」読了

 読者の皆さん、あけおめ、ことよろっと、またおふざけから入ってしまった。

 真面目な話をする。職業センターは9日から始まるが、僕は、この正月休みに一つの課題を自分で出した。ちょびっとしか読んでいなかった、「森田療法」岩井 寛(いわい ひろし)著の講談社現代新書(700円プラス税)を読破することであった。

 そして、今さっき読了した。キーワードは「あるがまま」。前半は難しかったが後半、患者の例を元に具体例が書かれてあって読みはかどった。辞書を片手に。驚く事に作者も神経質(症)だったらしい。印象に残った内容は現実から逃避したい自分と生の欲望を生かしたい自分がいて、思い切って現場に向かっていくと生の欲望をすなわち現実目的を果たせるという、まあこのようなことが書かれてあった。

 確認症の症状を持ち合わせる僕は、非常に役立つことが書かれてあった。それから発病してから仕事に行っていた時に通うのがおっくうになりがちというか毎日なっていたが、それも「あるがまま」として受け入れ現状を打破することができれば、なんという事は無いのである。森田療法を実践するのは易しくないかもしれない。言葉だけ言うのは簡単でも。しかし、1冊読んだだけでも自己満足にはなった。

 話は変わるが、機動戦士ガンダムのDVD?BOXを小出しに見ているが、とても1979年の作品とは思えない作品だ。色褪せない、非常に奥が深く面白い。解説書を読み、それから見ないとつまらなくなる作品だ。

 読者の皆さんも小生も良い年でありますように。それではまた。

昨年のピアス忘年会を今、語る

 昨年の12月27日(火)に行われたピアス忘年会を、年が明けた今、なぜか語っておきたい。

 まずOBの親友から今年最後のピアス喫茶のランチを一緒に食べない?と前日誘われていたのを、携帯メールチェックミスで、ご一緒できなかった。
彼は仕事だったが休みを取ったのだった。
僕の働いているバーミヤン清掃メイトは代役がいないため、休みは取れない。
ローテーションロック状態である。

 だが、親友とは、席が一緒になって語り合えた。ラッキーだった。今回の忘年会は、いつものかけこみ亭を離れ、1次会はピアス食堂、2次会の出し物はかけこみ亭という2会場またがり方式で行われ、とても快適で楽しめた。

 一昨年までのかけこみ亭オンリーだと、きゅうくつで、食事がろくすっぽ、まともに食べれず、欲求、食欲が満たされなかったのだ。

 その点、今回はピアスで食事会ということで、MAXでおなかいっぱいになるまで、食事を堪能した。その食事もなんと鍋である。キムチ鍋と水炊き鍋(辛い方と辛くない方)で机が6つくらいに分散し、1机6人ぐらいで座り、お好みの方で、くじを引き席を決めるという方式だった。帰り際に施設長に尋ねたら、鍋はピアスのメンバーが、自宅から有志で持ってきたという。皆、同じような形の鍋に見えたけど。私はキムチ鍋に座り、初めて?キムチ鍋を食した気がする。施設長がこれを入れるとおいしくなるわよ、と言って入れたのがなんと幻?の豆乳キムチ鍋の素だった。おいしさがグレードアップした。事前アンケートで豆乳キムチと欄があったのはこれだったんだ。

 尚、小生は酒癖が極めてよろしくないので、今回の会もアルコールは1滴も飲まなかった。2次会では食べすぎたせいか、腹をこらえていて、50%ぐらいは楽しみが半減していた。でも歌あり、笑いあり、本格的なマジックショーあり、素敵な演奏ありで、かけこみのステージに立ったメンバーなり、職員その他大勢皆、輝いていた。光っていた。体からオーラが出てほとばしる炎がメラメラしていた。とても良かった。特に現メンバー、輝いていたよ!

 親友と職員とロック談義もできた。これで第何回になるだろう。今回は職員(脅威の音楽通!マニアを超越する知識)が僕の疑問バンド「勝ってにしやがれ」を解説して下さった。

 次の日、仕事は休みだけど、時間がお昼(12:00)を回りそうなので、3次会は出ないで、記念撮影が終わってそのまま帰った。

 時間が押した以外は、雰囲気もピアスの方達のとても人あたりのいい、ほのぼのモードで、バーミヤンできつい事をたまに言われたりもする僕は、とても癒された。今回の忘年会の幹事の活躍が光った。幹事の勝利である。今回はビンゴゲームの商品ゲットだぜ大会(勝手に命名)はなかったが、個人的には無くて良かった。
 
 また、都合がつけば、なるべくピアスの会には是非とも参加したいな?と思わせる会であった。だけど酒も飲んでないのに、興奮して夜、睡眠薬を飲んでも、大勢集まる会に出席したその夜はすぐ寝付けないのである。病気のせい?
 
 次の日ピアスは大掃除というスケジュール。これじゃあ最後まで楽しめないじゃん、と在籍時思ったスケジュールは変わっていなかった。おしまい。

社会就労センターピアスを振り返って?

今日、小生の最後のピアスのトレーニングは、就労プログラムとはまた別のちょっとしたイベント、障害者スポーツセンターでの、スポーツ大会でした。
ソフトバレーボールをしましたが、チームを4つに分けてトーナメント&リーグ戦をやり、これが白熱。
職員命名の「チームデンジャラス」に入った小生のチームは惜しくも確か2位。
次にチーム替えをして、小生が「チームアクティブ」と命名したチームはトーナメントは優勝!
総当り戦では惜しくも、次のまだやっていないボケさん(ピアスのすぐ隣りの、納涼会、忘年会では何かとお世話になっている、かけこみ亭の店主)チームとやって敗れた。

まあ、スポーツにミスは付き物で、小生もミスはしたし、皆で汗をかいて真剣に勝負にこだわり楽しむところに意義があった。久し振りに人と一緒にスポーツができて楽しかった。ドッチボールも小学時代の童心に返ってやりたかった。

ところで、ピアスは、弁当宅配で、最近になって府中便というのができて、小生は行かないまま、退所となるわけだが、厨房もより忙しくなったみたいで大変ではある。10:15にご飯をお釜に移すという作業の行方は?とにかく万物は流転するというように、ピアスの作業=トレーニングも少しづつこれから先も様変わりしていくのだと思う。

ピアスは精神保健福祉士を目指す学生実習さんや、見学のために関係機関から様々なお客様が来訪する。これは、確かあとあとマニュアルが出来たのだと思うが、小生が見学案内をした時には、自分でマニュアルを作らないで、ぶっつけ本番で説明していた。職員同伴で案内をした時、具体的に話がいってしまい、要点を上手くしゃべれなくて、そこを指摘された。他の人がやっているみたいにマニュアルを作っとけば良かったなあ。と思ったが、次回やる機会には恵まれなかった。

ローテーションミーティングでは、何に自分が向いていて、何を中心にトレーニングをするかをよく、担当職員との面接で相談して練り上げるのが良い。面接は正直厳しい。ピアスでは第一、第三、(第五)金曜日が就労プログラムとなっており、就労に向けて様々なメニューが用意されている。施設長から、「ピアスの利用の仕方について」という題でお話があったり、「病気と付き合いながら働くために」というタイトルで精神科医の方がいらして、講演をしたり、OB・OGの方が講演に来たり、「履歴書の書き方」のガイダンスがあったり、面接の練習を実際やったり、SST(ソーシャルスキルトレーニング)といってトレーニングで必要だと思われる、弁当の宅配の仕方やその他もろもろを練習して普段取り組めないものをいわゆる研修みたいなもので補うのである。その時大切なのが、『良いコミュニケーション』である。中身は敢えて書かないが。毎回のように出てくるキーワードである。自己チェックリストというものがあるが、最初は、皆甘く、点数を付ける。しかし、職員が点数を評価してくれると、自分に厳しくなり、自己評価は厳しくなっていく。小生はそうだった。他の人もそうかもしれない。施設長曰く、「これは、自分じゃ分からなかった面の気づきを発見するためのものです。」と確かおっしゃっていた。企業見学や他の授産施設の見学もある。そして、金曜の就労プログラムの日の昼食のメニューは、ほぼ決まっておいしいカレーライスだということを付け加えておきたい。

ピアスを通う上で、大切なのが友達だろう。皆優しい人が多い。また、職員はすごくおおらかな人が多い。友達とCDや本の貸し借りをしたり、職員ともCDや本の貸し借りをしたりできるようになれば、通う楽しみも倍増する。小生は運良くそういう人にめぐりあえた。読んでくれている読者もそういう楽しみを持って通って頂ければと思う。

小生の在籍時は音楽好きで楽器ができる方が多数いてピアスバンド(仮名)なるものがあって、納涼会や忘年会で演奏を聴くのが楽しみの一つであった。また、カラオケにない曲で自分が歌いたいCDの曲を持ち寄って、かけこみ亭のステージで歌うのも自己満足にひたれた。なごみ会というのが工賃・交通費支給日の日にだいたいあって、カラオケ好きの小生はカラオケだけはかかさず参加していた。なごみ会はOB・OGも参加できるので、カラオケだけは来るOBの方もいらっしゃる。納涼会、忘年会などもOB・OGが参加できるので、ピアスを卒業していった先輩から、今の取り組んでいる仕事について聴くのも勉強になった。

まだまだ書き足りないことも多いが、?をとりあえず終える。尚、記述で間違っていることなどもあるかもしれないので、読んでいただいた方はくれぐれも鵜呑みにはしないでいただきたい。小生はピアスの退所を控え、ピアスは例えるなら日本サッカーの「アテネ経由ドイツ行き」という言葉があったが、そのアテネへの練習、トレーニング、試合が終わり、外の仕事=ドイツが始まりを告げたのだと今はそう振り返って、思っている。焦らず、じっくりやっていきたい。

社会就労センターピアスを振り返って

2年間通える、ピアスも今月の24日で退所になるので、ピアスのことをざっと振り返ってみたいと思う。社会就労センターピアスは通所授産施設(この意味、分かっていない)なのであるが、主治医の紹介で、見学をした時、マドレーヌ部門があってなんか作業所みたいだなと思ってためらった。(僕は作業所に通ったことはないが、決して作業所をばかにしているのではない。あしからず。)しかし、いざ入ってみると、その思いは大きな勘違いだった。ピアスはほかの企業となんら変わらない企業のような会社みたいなところであった。朝のミーティングや4つのトレーニングのことなんかを語っていきたい。朝のミーティングで、司会になると、これがまたやっかいなのである。ローテーションが埋まっていないと、3階の職員に内線をかけたり、また、皆の前に立って司会進行して、緊張するので、誰になってもマグネットの張り方などが、違っていたりして、メンバーから助け舟の声がかかったりするのである。厨房午前。弁当の食材を始めのうちは上手く入れるように神経を使った。配達の役になると外の空気が吸えて、いい気分転換になる。4つの役割のうちの注文・・・お得意様が紙に電話番号が書いてあってその通りに電話すればいいから、順にかけていけば良い。新しいメンバーはこれからスタート。数・・・これは、ちょっと頭を動かさないと難しいが職員が間違っていたりしたら、必ず教えてくれるので、注文が慣れたらチャレンジだ。弁当箱の個数の調整だ。詰め・・・受けをやってからでもいいが、詰めは要は、お客様の注文した弁当をコンテナに詰める仕事だ。通例は10:40開始となっている。この時、注意したいのが、大口のコンテナには、必ず個数分の割り箸を入れるのを忘れないということである。1回桐朋高校の箸を小生が入れ忘れ、学食から箸を借りたということのミスをしたことがる。受け・・・これはスピードが命である。速記ができないと勤まらない。始めのうちは、こなせていた小生もだんだん注文数が多くなると、仕事が遅くなり、速記ができない人なので、担当職員と相談してやらなくてもいいようになった。領収書を書いたり、大学通り便やさくら通り便の荷札を書いたり、配達票を書いたりと1分たりとも気の抜けない、大変な役割である。が、無事やり終えた後の達成感はある。トレーニングのしがいのある厨房の重要な役割だ。午後の厨房。弁当箱の回収に行ったり、ひたすら弁当箱を洗ったりするが、午前もやるが、非常勤の弁当を調理している方が使っていた食器や調理器具を洗うのだが洗うのはいいが、しまう場所が結局、全て把握できずに退所しそうだ。未だに全部理解しきれていない。喫茶部門。ピアスは喫茶店も経営しているのだ。ピアスは屋上付き3階立てのちょっとしたビルのようでもあり、20人ほど入れる喫茶店があって、日替わりランチといって、宅配弁当で作ったものと同様のメニューが、お客さんが、食べられるのである。喫茶部門は、まず、午前の裏方からスタートだ。慣れてきたら、いわゆるウェイターにチャレンジ。表と呼んでいる。午前の表をやって、12:00?1:00の裏と表をやった。裏はだいたいの人が比較的こなせるが、この時間帯の表はピアスの人気メニューの日になるとお客さんも知ってか知らずか、テーブルがほぼ埋まり、接客が間に合わなくなってしまう。どうしても、1人じゃ無理な時だけ、職員が手伝ってくれるのだが、喫茶マスターの道は険しい。要領のいい人ならこなせるが、小生は、病気の症状が出て頭がカーッとなり、これも担当職員と相談して、あなたはもう喫茶はやらなくていいですよ。と許しを得た。でも、飲食店でウェイターみたいな仕事がしてみたいというちょっとした夢があったため、体験できたから夢がかなったし良かった。午後の裏は何回かやった。しかし、午後の表は、他のメンバーとの調整もあり、新しいことを覚えるのが大変だからということで、やらなかった。やっている人に聞くと、どうも味噌汁の具で使う、油揚げの油抜きの作業が大変らしい。また、表は3:00上がりにはならないで少し残業しないと駄目みたいである。帰るころにもまだ、表の人がカウンターに立って仕事をしているのをよく見かける。僕が入った時にあった製菓部門のマドレーヌ作りは実習生の時に4つの部門を体験するということで、砂糖の計量と袋詰めを1回だけやった。マドレーヌは今年の4月から廃止されて、今は事務補助部門になっている。月、火曜だけだが、これが今、すごい人気である。ローテーションミーティングの時にはじゃんけんである。前までは、環境整備が人気だったのだが。事務補助は、4月の下旬にフットサルで左ひじを怪我した時、集中的にやらせていただいた。仕事はその場その場で、コピーを取ったり、厨房会計のパソコン入力をしたり、テプラでラベルを作ったり、銀行に売り上げ金を預けに行ったりした。ネックとなるのは、電話番もしなければならず、電話が鳴る度に作業を中断し、それがやっかいであった。また電話の取り扱いが保留だの内線だのと上手くいかず、職員を困らせることがしばしばだった。そして環境整備。パンフレットに「パート就労を目指した、清掃技術の獲得」とあるが、まさにその通りである。担当職員が1から基本を教えてくれて、ピアスの館内清掃をするのである。始めはトイレ清掃に時間がものすごくかかってしまい悩んだ。慣れたのはつい最近。そんな小生も1年間ほど経験を積んだのちマンション清掃に行けるようになった。担当職員を中心として不思議な連帯感を感じることができます。清掃に力を入れる人は、是非マンション清掃はお薦めです。なんか、キーボードの反応が悪くなってきて長くなってきたので、「ピアスを振り返って?」を折を見て書きたいと思います。尚、この記述は小生の独断の見解であり、もし、これを読んだ読者は鵜呑みにしないでいただきたいです。では。

バーミヤン開店前清掃初日

今日から、バーミヤンの開店前清掃初日があり、無事終わって、このブログを書いている。だいぶピアスとは、環境整備の部門でやっていたことと、また、使う道具とかも変わっていたが、ジョブコーチのSさんや、メイト(バーミヤンではスタッフのことをメイトと言う)の方の懇切丁寧な指導の御蔭で、無事終わってホットしている。ピアスとの決定的な違いは、ピアスは1時間やったら休憩があるが、バーミヤンはない。約2時間ちょっとを一気にやり抜く。そのため、ピアスではそんなに汗をかかなかった小生も、汗がにじみでた。中身も濃く、2時間ちょっとで様々なメニューが組み込まれている。これは、週3回の2時間程度の労働が今の所小生には最適かな。と思った。それ以上、3時間とかやったら身がもたないだろう。清掃はそういう作業だろうと小生は捉えている。心配していた、病気の症状は出なかった。主治医は、「始めだからって、頑張って張り切り過ぎないように!」と助言してくれた。そんなにパワー全快でやらないでもなんとかできた。今後も病気の症状などが出ないように気を付けたい。話は変わって、サッカー日本代表、今日がラトビア戦である。小野が、また怪我したため、ルマンの松井が先発だ。松井に期待したい。もちろん俊輔なんかにも。明日は、オールスター、10日は、バーミヤンの清掃が終わってから、ジェフが、運良くナビスコカップの決勝まで進んだため、チケットを買うつもりだ。ガンバが相手で、Jリーグ発足当時から、タイトルが1つも無かった2チームが決勝まで進んだため喜ばしいことだ。ガンバはリーグ現在トップでリーグ優勝の可能性もあるから、できればジェフが勝って、悲願の初タイトルを取ってもらいたい。98年の決勝は、相手がジュビロで強すぎて、負けた。今度こそ。12日のウクライナ戦は、夜10時45分からのTV中継で、次の日は木曜で、出勤だから、早く寝なきゃいけないから、見られないじゃん。小生はビデオに録画すると、もう見ない性分なので、ビデオは録らない。生じゃなきゃ駄目なのだ。コンフェデも深夜だったから、1試合も見られなかった。W杯のドイツ大会の来年は、どうなるのだろう。こんな時、時差というものを恨む。W杯の試合ぐらいゴールデンタイムで放送してほしい。録画中継でもいいから。では。

9月も終わりで

今日で9月も終わりであるが、3日間ののど痛によるいわゆるカゼの休み明けで、今日はピアスに行き、午後、W君と一緒に、国立市初のグループホームである、「櫻の杜ハウス」の外観見学に歩いて行ってきた。言葉は悪いが、おんぼろアパートを想像していたが、だいぶマシな建物だった。運良く、世話人のNさんがちょうど、うちの父が提供した車、スバルのプレオで出かけるところで、少しだけお会いすることができた。覚えたての携帯のカメラで写真を撮り、帰った。「また電話して来週以降あたりで来て下さい。」とおっしゃていたが、来週から、バーミヤン国立店の清掃の仕事をすることができるようになったから、もう、ちょっと僕も時間が無いと言うか、心にゆとりが少しなくなってくるだろう。来月の24日で、お世話になった(まだなっているけど)ピアスも退所である。今日の就労プログラム前の1分間スピーチでお題は「隣の人を褒める」で初めて小生の担当職員だったIさんが、小生を褒めてくれるというめぐり合わせになった。小生を、趣味が沢山あって、一つの趣味をとことん妥協しないで音楽やサッカーなどについて追求していく才能があってスゴイです。というような内容をおっしゃってくれた。Iさんは、始めに日本人の特有として「自分の長所と短所をあげなさい。」と言われたら、良い点は1個か2個で、8個ぐらいは悪い点をあげる傾向があるとおっしゃっていた。同感。それで、他人に褒められることによって自分の良さはこんなにあったんだ。と再確認したり、僕ってそんないいところがあったんだと発見をしたりして悪い気持ちはしない。ただ、隣の人を褒めるというのがなかなか難しい。あまり、コミュニケーションをとったことがない人だと、なおさらなのだが、なんとか1分間ひねりだす。今回は女性のYさんをなんとか、外見から褒めていって、なんとか1分をのりきった。だけど、このテーマをやるたびに、いつも、ああ皆見てないようで、自分のことをわりと見てくれているんだなあ。と切実に実感する。ピアスをもう1年11ヶ月通ってきて、だいぶ福祉分野のことを知ることができた。グループホームなんていう存在もピアスに在籍してから知った。特に精神障害に関してだが、いわばピアスはトレーニングを積みながら、メンバーとの交流もある半分はリハビリの学校みたいなものだった。精神保健福祉士の資格を取ろうなんてことはもう、ちょっとそれは不可能だが、多摩市の「のーま」という確か、地域生活支援センターみたいなところに、統合失調症でも職員をやっている方がいる。僕も将来、そんな風になれないかな。と淡い夢みたいなものができた。ピアスに入ってくる人がこぼす愚痴の一つに「職員は別に精神障害者じゃないから、親身になってくれても、結局は分からないんだよね。」というのがある。小生は病気持ち(悪い病気じゃないよ)だから、もし、職員にでもなれば、メンバーの気持ちが痛いほど分かってあげられるはずだ。と心で思い描いているだけではあるのだが。実際は大変な仕事だろう。まずは、バーミヤンの開店前清掃からで。
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